本好きなベジータの「俺様の読書日記!」

俺様の読書日記だ!読みたきゃ好きなだけ読みやがれ!!

太宰治『女生徒』 まったく無意味な事ばかり考える地球人だぜ!!!

あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっとふすまをあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉でんぷんが下に沈み、少しずつ上澄うわずみが出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。いやだ。いやだ。朝の私は一ばんみにくい。両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。熟睡していないせいかしら。朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。

 

青空文庫の冒頭から引用だ。このオレ様がこの本を最初に読んで、真っ先に思ったのは「コイツ、朝目を覚ましただけなのに、一体ネチネチと何を言ってやがるんだ!!」だった。

 

 

作者の太宰治っていうやつは、相当陰湿なヤロウらしいな。その昔、ブルマの本棚にあった『人間失格』を読んでやったが、あれも相当暗い話だったぜ。

 

「恥の多い生涯を送ってきました」だと!? 修行もせずプライドも持たずぬけぬけと生きてやがるから、そんな弱音を吐きやがるんだ! 男だったら黙って修行の一つでもやりやがれ!

 

 

この『女生徒』てのは、ただ朝起きたってだけでこの有様だ。

 

「もしかしたらコイツ、そうとう面倒なヤツなんじゃないか?」と思ったオレの予感は見事に的中した。

 

母親と話す、犬っころと戯れる、電車に乗る、美術で絵を書くという、地球人としてはえらく一般的な行為にも関わらず、コイツはいちいち能弁を垂れやがる! それも、その考えがどこへ向かうでもなく、グルグルと、ただ向かう先なく雲のように浮かんでは消え、浮かんでは消え、それを繰り返すばかりじゃないか! 

 

もう、お茶の水。プラットフォムに降り立ったら、なんだかすべて、けろりとしていた。いま過ぎたことを、いそいで思いかえしたく努めたけれど、いっこうに思い浮かばない。あの、つづきを考えようと、あせったけれど、何も思うことがない。からっぽだ。その時、時には、ずいぶんと自分の気持を打ったものもあったようだし、くるしい恥ずかしいこともあったはずなのに、過ぎてしまえば、何もなかったのと全く同じだ。いま、という瞬間は、面白い。いま、いま、いま、と指でおさえているうちにも、いま、は遠くへ飛び去って、あたらしい「いま」が来ている。ブリッジの階段をコトコト昇りながら、ナンジャラホイと思った。ばかばかしい。私は、少し幸福すぎるのかも知れない。

 

まったく頭に来るぜ! 若い地球人は全員そういうものなのか? 

 

もしかして、若い頃のブルマもこんな想いを抱えて生きていたのだろうか? もしそうなら、こう言ってやりたい。お前は空っぽなんかじゃない。己の中から湧き出るエネルギーの発散の仕方を知らないだけなんだ。

 

全てはエネルギーの発散なんだ。工夫次第でどうにでもなるんだ。自分を特別なんて考えるな、そんな悩みを1人で抱えるな。お前は、自分の気をコントロールできていないだけなんだ。

 

もし、オレ様がお前と同じ世界にいたならば修行をつけてやる。過去を振り返る暇もないくらいにシゴいてやるから、覚悟しておけ!!!